歴代助っ人選手【あの人は今】。
第三回は2010年オフに退団した選手の退団後~現在を追っていきます。
2010年といえば、シーズン3位からの日本一を決め下剋上を果たした年です。
それもあってこのオフに退団した選手は二人。
ブライアン・コーリーとファン・カルロス・ムニス、皆様は覚えていらっしゃるでしょうか?
お付き合い頂ける方は、続きをどうぞ。
ブライアン・コーリー(投手)
基本データ
在籍 | 2010 | 国籍 | アメリカ |
年齢 | 47歳(1973/10/21) | 投・打 | 右・右 |
経歴 | |||
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NPB成績 | |||
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退団までとその後の経緯
2004年には巨人に在籍していたこともある助っ人投手(シーズン途中に加入し1年で退団)。
ロッテには2009年のオフに入団テストを受け、入団しました。
谷間の先発として、それなりに投げてくれた印象ではありましたが、結果としてそれが彼の首を締めてしまったかもしれません。
役割的に優先順位がそれほど高くなく、枠の関係もあって契約の更新はありませんでした。
退団後は、韓国・台湾・メキシコ・米独立と渡り歩き、2012年に引退。
その後、MLB・ブリュワーズのスカウトを経て、17年シーズンからはアスレチックスの傘下でピッチングコーチを務めているようです。
ファン・カルロス・ムニス(外野手)
【出典:Wikipedia】
基本データ
在籍 | 2009-10 | 国籍 | ブラジル |
年齢 | 45歳(1976/01/28) | 投・打 | 右・右 |
経歴 | |||
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NPB成績 | |||
14試合/24打席/打率 .136 |
退団までとその後の経緯
謎のキューバ人助っ人(2002年に結婚を機にブラジルへ移住)。
2009年に育成選手として千葉ロッテに入団し、翌月には支配下登録されています。
来日した2009年にファーム(イースタン・リーグ)で首位打者を獲得し、翌年の活躍を期待されましたが、オープン戦から鳴かず飛ばず……。
結局、14試合の出場でシーズンを終えています。
来日時点で既に33歳だったのが惜しかったですね。せめて後数年早く来ていれば、夢を見られたかも……なんてポテンシャルは感じる選手でした。
しかし、秘密兵器は秘密のまま2010年オフに退団。
退団後はブラジルリーグへと復帰し、ブラジル代表としてWBC2012年(予選)・2013年(本選)・2016年(予選)に出場しています。
本人SNS(FB)によれば、現在はNikkey Clube de Mariliaという団体で少年少女の野球教室などをやっているそうです。
さいごに
いかがでしたでしょうか。
今回はコーリーとムニス、渋い二人のみという中々マニアックな回となりました。
私としてはムニスにそこそこ盛り上がっていた記憶はあるものの……コーリーは、いたなぁと。
一軍での出場機会はコーリーの方が上のはずなんですが、不思議ですね。まぁその違いも微々たるもんですが……
さて、次回は2011年に退団した助っ人選手達について取り上げます。
よろしければ、次回も御覧ください。
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